「プロシューマ」はOSSに由来する、あるいは実証したスタイルだ。

オープンソースの利害関係者を3つにわけ、開発者、利用者、伝達者としてその3者の利害関係を調整するのがOSSライセンスであるという解説はすでに時の試練を経たものなのだが、わたしが思うに、門外漢に解説する際には、いまだになかなか難しく、実際には数々のメタファを繰り出して解説したりしている・・・。

さて、ここで便利な言葉を作り出した人がいる。

Prosumer = Producer(生産者) + Cunsumer(消費者)の造語 by アルビン・トフラー

これは、物作りができる人たちが生産を牽引し、しかも後続の消費者の立場でも牽引するというものだ。この視点は、facebooktwitterなどのサービスプラットフォームが、その上で自由に物作りをしつつ、同時に利用者としても楽しむという「プロシューマ」層が火種になるという解説で用いられる。

まあ、そこで「サービスプラットフォーム」のような考え方で、なおかつすでにコンテンツも存在し、しかもその上で作るサードパーティアプリケーションなりサービスが、本体も、サードパーティもうるおすという枠組みが大流行である。

しかし、そんな目新しいものではない。

それは、まさにオープンソースソフトウェアのスキームにほかならないからだ。

コアにせよAPI活用のアプリケーションにせよ、生産者(開発者)であり、かつ消費者(利用者)である。それがどんどん進展すると、顧客志向を持った生産者が自らの利用にあたっての便益のために生産する。

昨日、リーナスのインタビューを聴いていて、この人は最初の「プロシューマ」であり、そしてそうする人たちを牽引した。このLinuxの一番手が、自らプロシューマであったということが、二番手、三番手、N番手の「プロシューマ」を牽引したわけだ。

まつもとゆきひろさんも、まさにそれだ。使うために作った。

そんなエライプログラマでなくても、「自分で作れる・改善できる」かつ「利用し倒せる」ツールが愛されてきている訳だ。Linuxはもとより、Apacheしかり、そうそう、Emacsしかり。Linuxでいうところの「ドライバ」、Apacheでいうところの「module」そして、PerlPHPRubyともに、「ライブラリ」という「入り込める隙」がゆるいと、これまた盛り上がる、という歴史を経ている。

容易に「プロシューマ」でいられるからだ。

他方、自分が使いたいと思うソフトウェアなりガジェットにこだわりとどん欲さの<まるでない>消費者は、他人が提供した枠組みの中でしか生きないし、生産者として関わることにも関心がない。また、消費者の自由な介入を嫌う生産者は、消費者の声を吸い上げずにただ自身の開発力を否定されずに生きるのでいわゆる「リスク」がプラスにもマイナスにも極端に少ない。生産物が「やわらかい」ものであればあるほど、オーバーコントロールが、どっちらけな環境を産む。


OSSプロシューマの特徴は自分で目標設定するためにあらゆるセンスとアンテナを用いるところに大きな違いがある。

さて。

おおかたの市場は顧客志向、マーケットインなどという言葉を実践できず、いまだに生産部門のプライドを捨てきれず、ど下手くそな苦労をしている。

「プロシューマであること、を自らの肌で知っている人」の価値が上がってくるのは、まだまだ、まさにこれからだ。