「私がのび太だったらドラえもんにやらせる仕事」
残念なお知らせだが、こんなことできたらいいな、というような夢を語るトピックではない。
1/17の朝日新聞の朝刊の国際欄にタイのタクシン元首相のインタビューが掲載されていたんだけど、回答が面白過ぎたので紹介。
ー 政治家になったことを後悔するか。
この人がどういう意図でこのことばを使ったのか、本当のところはよくわからないが、まあ「自分のやるべき仕事ではなかった」ということだろう。「自分にはその能力がなかった」ということを婉曲に表現したのかもしれないし、「適任者に押し付けておくべきだった」ということなのかもしれない。ともあれ、大喜利のお題としてなかなか面白いではないか。
なるほどなるほど。なんかないかな。(しばし考える)
あれ、待てよ、のび太ってどういう意味で能力不足なのかね。少なくとも、問題解決の具体的な手段を持ってないことが多いという意味では能力不足なんだろう。しかし、そのわりには、手段としてドラえもんが提供する道具を実にうまいこと使える、基本的には器用な人間だとも言える。
ドラえもんに目的要件だけ伝え、熱意を持って涙ながらに訴え、それに動かされてドラえもんは、そこそこ適切かつ意欲をそそる手段を提供する。
確かに、ドラえもんがいたら政治家は助かりそうだ。
なぜってドラえもんは、のび太の戦略に対して戦術を提供するだけだ。ドラえもんのミッションはのび太の成長過程をサポートすることに尽きるが、それはとても効果的だ。だから、ドラえもんには、行政はできても政治のようなことはできない。ドラえもんのサポートの結果、のび太はしっちゃかめっちゃかになりながらも、だいたい笑いオチにできる上に、最終的にしずかちゃんをゲットしてリア充。*2
ドラえもんの道具供給の原則は、のび太の圧倒的かつ永続的な勝利というよりも、飽きさせない程度で十分だというレベルかもしれない。*3
するってーと、たとえば、ネタ元のタクシン元首相が政治家を語る上で自分を「のび太」化するということは結構エライことだ。「のび太」の位置は、首相、ではなく、もうひとつ上のレイヤー?タクシンさんの悩みは「やるべきことは見えているんだが、具体的かつ有効な手段を講じられる人材がいなかった、あるいはそのスキームでやれば良かった」ということではないのか。