ソフトウェア産業は製造業のあしもとにも及ばない

ソースコードはアートで、作品なのです。工業製品として扱われるのは心外です。プログラマのみなさんは、そういう気概をもって仕事をしているでしょうか。アーティストは歯車ではない。右から左へ流れ作業をするのではく、創造的、自発的に仕事をするのです。

バランスの取れた丸い意見を述べる必要など誰にも誰にもないので、それはいいんです。

プログラマのみなさんはアーティストたるべきだ。そう、こういうことを言う人がいなくちゃいけない。実際、そう思うし。
ありがたいことです。

それでも、少し意見が違う。スルーしようにも、どうしてもキニナル。

私には、よりによって工業製品(とその生産過程)を揶揄することは考えられない。そこには設計と実装の美しさがあり、そしてその生産工程でさえプログラミングされており、それには雇用のためにも技術発展のためにも改善が可及的に必要。そして、開発にしても製品化にしても生産にしても流通にしても、その全プロセスにはそれぞれ魂があります。rubyを組み込む工業製品だってあります。

そして、工業製品の生産にあたるプロセスは、ソフトウェア産業では配布媒体の決定というプロセスにあたるのであり、それぞれ製品化とか基礎開発のプロセスはごく少数によって成り立っています。ただ、ソフトウェア産業との違いは、配布、適用、教育、流通、利活用までソフトウェアエンジニアによってプログラムされ、実現します。「歯車」となることは何も悪くありません。右から左に流れるところに「プロ」がいなくては、成り立ちませんから。

アーティストが「職業」なのであれば、その人は他人の生産性の恩恵を受けるエコシステムによって生活しているのです。

さらに広いスコープでいえば、製造業、すなわち工業製品の生産性が、この非生産的で成果のあいまいな、日本のソフトウェアエンジニアの給料を、すなわち家計を維持しているのです。彼らこそが、たとえばソフトウェアを組み込むという方法でエンジニアの産業に経済を回し、技術発展のために経済的に貢献しています。

ただ、成長と発展のためには、プライドを持つのが先のほうがいいのか、実績をあげるのが先であるべきなのか、それは決められませんけども。

だから、いずれにしても、他の産業を揶揄する意味がありません。そして、アーティスト然とした仕事をしていないひとたちによって成り立っているエコシステムを無意味化するのは言語道断です。

最後に、どの産業にしても、成果から価値を産むプロセスに責任を持つのが「会社」です。何としてでも新しい社会価値を効率よく作る仕組みを維持し、成長させる使命があります。選択の余地を示すことがあってもいいですけど、プログラマとの対決構造を示す意義がありません。むしろ同じ方向を向き、利用して成長するためのインフラだという見方をすればいいじゃない。

このご時世だから、というわけでもないですが、経営者は必死で、プログラマが成長でき、かつ生産によって利益を生み、それによって雇用を守るために努力しています。これ以上、プログラマを使いにくい存在に促してはいけない。