「ジマンパワー」とな?

多くの趣味は、自己満足したい気持ちや自慢したい気持ちが原動力となって成立しているように思われます。・・・このように、自己満足したいという気持ちと他人に自慢したいという気持ちの両方が満たされるような趣味は流行しやすいといえるでしょう。
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自己満足(自満)や自慢を支援するジマンパワーは趣味にとって非常に重要だといえるでしょう。

  • 「ジマンパワー」というのは「自己満足したいパワー」と「人に自慢したいパワー」だから、カタカナなんだね。なるほど。
  • 確かに、、、「趣味」は人の欲求上ハイレベルな活動。ここでの「レベル」は、いわゆるマズロー欲求段階説がわかりやすくて、一番根底にある生存欲求から徐々に、安全欲求、社会欲求、認知欲求、自己実現、と段階が上がっていくと。6段階目にコミュニティ貢献欲求があるという噂もある。いずれにしても、だから、この記事はその古典を庶民にわかりやすく言った、という解釈でいいのかな?
  • どっか違う気がするのはなぜだろうかね。
  • まてよ、ここで、「自満(自己満足)」と「自慢」を並べてくくっちゃっていいんだっけ。確かに、うまいこと言ってる感じではある。しかし前者の「自満」は段階横断な話で、しかも「目的」とか「状態」なんじゃないの。かたや、「自慢」は行動。だから、自己満足の手段の一つだと位置づけられるから、全く異種のものを二つパックして「じゅーよー」ラベルを張ってる。
  • 明らかに、自己満足には、「自慢」という手段以外の、「自慢」とは明らかに異なる行動がある。段階の低いところから高いところへ、「うまいこと活用(食いぶちにしちゃう)」「安全・確実さをゲット」「世間様に恥ずかしくないよう」「者どもに一目置かれる」「ちゃっかり自分自身の成長」「むしろ貢献」など。他人が関わるかどうかもさまざま。「スルー」ですらレベルの高い自己満足。
  • だから、「自慢」というのは、自己満足の下位概念である上に、行動の根底ですらなく、むしろごく一部にすぎない。元の記事は「人へのアピール」をおしなべて「自慢」にして定義を拡げ緩めてしまって、なんのこっちゃってことになってるきらいもある。

偉い奴は偉そうにしてないと困る人はいっぱいいるのだ。謙虚になるべき時とそうでない時の区別をちゃんとして、必要なら偉そうにする。これが正しい姿だ。その方が、「外の人」にわかりやすい。

まぁそんなわけで、「偉そうな奴が自慢する」というのは、必要なことなのだ。多少自慢がインフレになってしまうくらい、「俺偉いよ」と思った人は自慢すればいいと思う。

  • おごちゃんが言う「自慢するヤツの大切さ」は、この世の中人間集団を刺激してムキにならせる役者としての評価だよね。それはいわゆる「因子」「トリガー」なので、集団がなにかを引き起こされるには不可欠なアイテムの一つだよねという前向き議論での話だと思う。だから、達成を考えるわけなのだから、人の自慢を聞いた時の反応がさまざまでいいじゃん、と。それは「ジマンパワー」というより、ずっと濃い「自慢パワー」だと思う。
  • それはそうと、「非常に重要である」という指摘文言は否定しにくい上にからみづらい主張ワードだと理解することは非常に重要である。反省w
  • で、これ書いちゃったのも、ジマンパワーなのか?はっΣ(゚Д゚;)